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皆様大変ご無沙汰しております、急行出雲です。父の傘寿と母の喜寿が重なり、お祝いを兼ね先月丹後〜城崎〜出石を旅行して参りました。写真は先日役目を終えた餘部橋梁です。旧橋梁の橋脚の内何本かは保存するとのことでした。
下まで降りたところで丁度単行のキハ47が通りかかりました。後藤工場に入場する車のようです。
先週、高崎駅にて新幹線から在来線に乗り継ぐために、階段を降りてきましたら、新型お召し電車が停車中でした。お召し用客車は連結しておらず、団体用に走ったものと思われます。全体を撮影しようと思ったら、小生が乗る電車が入線し、残念なことでした。
車内は木目調のようです。 引退したお召し用客車は、ぜひ、大宮に展示してもらいたいと願っているところです。どこにあるのでしょうか。
今日は職場が○○記念日で休み。ちょっとドライブに出かけてきました。碓氷峠の麓の横川から旧中山道を行くと次の宿場が坂本。その坂本のはずれにFE63がぽつんと置いてあります。
これは22号機です。廃線後、群馬県前橋市の方がEF6322を購入したことを新聞で読みました。いくらしたのか存じませんが、本体、輸送費、たぶんすごい額だと思います。
車体全体にさびが出てきています。北側はそうでもなかったのですが、日の当たる南側の塗装は相当痛んでいます。よく見ると、運転台付近と機械室あたりの塗料が異なるのでしょうか。塗装の痛み方が違います。最近、Nゲージ模型のEF63の購入もままならない小生にとって、これを買った人は、すごい人だとつくづく思いながら、帰路につきました。
こんなのもありました。今の周遊券は制度が単純でないため利用することがありませんが、かつてはよくお世話になりました。
札幌・釧路間の423列車・424列車は、スハネ30が使用された最後の列車でした。小生も狩勝号の寝台を予約していたのですが、窓口で聞いたら空いているというので乗りました。最初で最後でした。出発時は、車内はエアコンがないため、多少蒸していましたが、夜中に目が覚めると寒いぐらいでした。
周遊券も色々ありましたが、高校の時は「南九州」を良く使いました。深夜の博多駅で「かいもん」に乗って1日をフルに使って利用していました。DF50の富士やED76のはやぶさなど色々寝台特急もまだ残っていました。京都では北海道の周遊券を使って何度か北端を目指しました。ここでも日程をフルに使うために大津駅で0時8分でしたか「きたぐに」号に乗って、帰りは白鳥で帰ってきたり。そういえば白鳥には上下とも青森まで乗車しましたがロングランでしたね。今では高速化でそんな旅行も出来ませんが、ミニ周遊券の想い出は尽きません。
1979年9月に名古屋駅で撮影。最も端のホームに停車していたので形式写真は撮れませんでした。ホームの位置から関西線か紀勢線の普通列車に使用されていたものと思います。
これは77年か78年に京都駅で撮影した急行「桜島」。暑い夏は、白いシートカバーのかかったグリーン車は憧れでした。普通車に乗り、時々、グリーン車を通過して涼んだものでした。
昔のネガを整理していたら秋の台風通過後の鳥栖のコマが出て来ました。まだ客車列車もローカルでは主力の地区もあった頃ですね。鳥栖も鹿児島本線に長崎本線そして久大本線と運用を持っていました。
台風通過で荒れた中を早朝有田まで行き、用事がキャンセルになって帰り道に立ち寄りました。博多から「あかつき」だったか座席車だったから「西海」か?
鳥栖客貨車区客車職場は何度と無く通い、職員方々からお世話になりましたがその職員方も亡くなられた方々が・・・・あれ?全員亡くなってますね。100年すると人類全て入れ替わると笑っていた豪傑な職員氏も・・客車職場での何気ない風景が好きでした。
寒い時期になると蒸気暖房の季節でしたが、これを操作して編成端まで同じように暖房するのはやはり職人技ですね。
2階の事務所の踊り場からの風景も好きでしたね・・・鳥栖駅への出入りや鹿児島本線に長崎本線の通過列車が・・・朝は寝台列車群が次々と来ました。
やはり一番好きだったのは助役席の窓からの風景ですね。今では見る影もありません。まさに 方丈記ですね。
露天が多い鳥栖もちゃんと僅かながら検修庫がありました。時間は破壊力がありますね。
先週の平日の午後に大宮へへ出かける所用があり、それであればと早めに出かけ、鉄道博物館へ行くことにしました。ガラガラだろうと思っていったところ、とんでもなく混雑し、シミュレータは予約で一杯となっていました。限られた時間でしたが、足は当然のごとくナハネフ22に向かいます。美しい丸みのある展望車は風格があります。
こういう丸みは、現代の鉄道車両には見られません。昔、銀河に使用している頃、展望室から早朝の木曽川鉄橋を眺めたことがなつかしく思い出されます。
車内に入れないのが残念ですが、大切に保存するには仕方がないとも思います。窓の越しに車内を撮影。いわゆる「ひるね」で20系の富士に宮崎→西鹿児島、はやぶさで門司→熊本に乗車したことがあります。昼間のセット状態をよく見ると下段ベットが壁に向かって傾斜しているようです。10系はそのような仕掛けはなく、昼間の居住性まで追求していたとなると20系はやはり優れた車両ですね。
窓越しに見たセットしてある下段ベットです。ベットは平らになっています。どういう仕掛けになっていましたでしょうか。 あけぼの、ゆうづる、つるぎ、出雲、銀河、あさかぜ、富士、はやぶさで20系にお世話になりました。鉄道博物館の日本食堂で食事をしましたが、食堂車の味とは違うような...好みによりましょうか。
こう様ご無沙汰しております。ナハネ20の座席の仕掛けについて、貴重なお話をいただき、ありがとうございました。小さな木材が座席が仕掛けられていたとは知りませんでした。20系初期車(たぶんナハネ20 1号車)の写真がありましたので確認しますと、こう様が言われている丁番が確かにありました。赤で記しをつけた、これでしょうか。昔の車両は、こうした職人芸的な装備をしていたことに驚かされます。やはり20系は名車だと思います。車内を公開した20系のないのは残念ですが、大宮と博多では窓の外から車内を見ることができるのは嬉しい限りです。小生が20系の車内に入ったのは、解体直前の98年ころに埼玉・瀞峡のSLホテルでした。まもなく解体され、宿泊しなかったことを後悔しています。
こう様 前回送信した後に、背もたれのところに丁番のあるのを見つけました。この○で間違いないでしょうか。 10系寝台は、このような仕掛けがなく、やはり特急用だけあって細部にまで工夫がされていたことには今更ながら驚きます。その分、寝台をセットしたり、解体する係の人はたいへんだったとは思いますが、長時間乗車が普通になっていた当時のことですから、設計された方は、細かいところにまで気を配られたのですね。「走るホテル」と呼ばれた20系の豪華さを再認識いたしました。ご教示に感謝いたします。 付記 この写真は、たぶんナハネ20 1号車だと思います。初期車は、上段も格納できるようになっていたようで、昼間の空間は広かったことと思います。写真を撮った頃は、上段はこのように半固定の状態だったようです。
本日、都電荒川線沿いの地域に所用があり出かけました。帰りは荒川車庫まで行き、尾久客車区を一周して、高崎線に乗ることにしました。初めて都電8800型に乗り、荒川車庫へ。すると庫内が公開されているではありませんか。小生も入らせていただきました。
8800型は快適な電車でした。もう一枚、真正面から。7500型は来年で引退するとのことです。それにしても今日は何の催しだったのか...前面に付いている旗を見ると、鉄道○の会とありました。そうとは知らず........。
今度は尾久客車区へ。「あけぼの」は、すでに出発線に移動済みで、洗浄線には「北斗星」だけがいました。西側へ回ると、留置中の客車が見えました。マヤ342004。
碓氷峠に何度もやってきた元「サロンエキスプレス東京」の展望車が留置されていました。横軽通過可能マークが付いています。
バブル経済の落とし子である「夢空間」の展望食堂車と寝台車が埼玉県下の郊外型スーパーに買い取られたとか。残ったオロネ25901だけが嫁入り先が見つからず、尾久にいました。
廃止された「北陸」用の14系客車が基地の片隅に留置してありました。
シャワー室を備えたソロが見えています。東金沢で9:00まで寝台が使えた頃、1回だけ利用しました。はやぶさ・富士に使われていたソロに比べると寝台は狭く窮屈でしたが、快適な一晩だったように記憶しています。どこかに引き取られていくのでしょうか。
ホームから見た14系の留置状況です。もう第一線で走ることはないのでしょうか。新幹線青森延伸時に「あけぼの」廃止の話題が聞こえてきます。ブルートレインの前途は多難のようです。
碓氷峠を長大編成で越えるために開発された169系、189系、489系の内の489系は現役を退きましたが、169系と189系は細々と活躍しています。 しなの鉄道に移籍した169系は、老朽化のために一時取り替えが計画されましたが、経営状況が思わしくないことから新車への取り替えは中止されたようです。今年の冬も活躍し、中軽井沢に到着する169系。
今朝は温かく、雪も姿を消しつつあります。 3月に中軽井沢・上田間で乗車しました。老朽化は否めませんが、115系に比べ乗り心地がよく、新幹線0系のお下がりの座席もここでは快適です。
現在のしなの鉄道169系の車内です。新幹線0系に、この新型シートが現れたときは、好んでこのシートに座りましたが、指定席で3列席の進行方向逆に当たった時は参りました。
2004年10月より、高崎線、宇都宮線の普通電車にグリーン車が連結されるようになりました。湘南新宿ラインは新型の2階建てグリーン車が連結されましたが、高崎線、宇都宮線の電車の中には1985年から増備された211系も混じり、東海道線で使用してきたサロ210・211が改造され、活躍しております。 写真はサロ210 1001(新前橋)。
2階建てグリーン車は人気がありますが、小生は連結されている場合は、好んでサロ210に乗車します。理由は、JRに残された国鉄型サロであるからです。サロ210を見ていますと、どうしてもオロ11を想い出してしまいます。この車両はナロネ20・21・22、オロネ14などと同じモケットが使われていて、国鉄車両を彷彿とさせます。
こちらは、モケットが取り替えられた車両です。上の車両とは趣が異なります。
JR東のグリーン車は、スイカでグリーン券を購入し、ランプにかざすと赤→青になり、検札が省略されます。小生宅の最寄り駅でグリーン券を買うと、このようななつかしい切符で販売してくれます。
高崎・東京間は、普通電車の到達時間が短縮されたこともあり、普通列車や快速のグリーン車で往復することが増えました。新幹線より断然安く、疲労度も変わらず、新幹線代との差額で大好きな横浜のシューマイ弁当+お茶+夕刊2紙を買ってもまだおつりが来ます。 ただ、この国鉄時代のサロ、老朽化は否めず、211系淘汰の際には姿を消すことになりましょう。オロ11を想い出してしまうこのサロには末永く活躍してもらいたいと願うばかりです。
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